百番巡礼供養塔
安永戊戌初夏、と脇に刻まれているから、1778年の建立である。
もう236年もその場所で人びとを見守っている。
かつて平安貴族の間にもてはやされた観音信仰は、江戸時代に入ると庶民の中にも広がり、信仰の対象を観音札所とか四国遍路とかに定めて巡拝する諸国巡礼が流行した。無事に参拝が成就するとその証しとして、地元に満願の供養塔を建てて感謝をし、身近で拝める対象物にした。
百番巡礼供養塔は西国三十三ヶ所・坂東三十三ヶ所・秩父三十四ヶ所を巡礼してきた人たちが記念に建てたもので、江戸時代後期に全国に広まって、体の弱い人やお年寄り達が地元にある百番供養塔で巡礼をしたと伝えられている。
当時の農民は大した手続きもせずに(往来手形を持つだけ)、全国に物見遊山の旅に出ることができたのだから、何と自由な世の中だったことだろう。江戸時代に人生をもっとも謳歌したのは、紛れもなく農民たちであった。