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一景一話

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【一景一話】 ~心に残る景色との出合いと食の愉しみ~

角屋

11年振りに京都島原の角屋を訪れた。

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角屋の建物は揚屋建築の唯一の遺構として、国の重要文化財の指定を受けている。

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揚屋は今の料亭にあたるが、角屋では座敷、調度、庭のすべてが社寺の書院、客殿と同等のしつらいがなされ、江戸時代、京都において民間最大規模の饗宴の場だった。

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そこでは、単に歌舞音曲の遊宴のみならず、和歌や俳譜などの文芸の席があり、文化サロンとしての役割も果たしていた。また、幕末には、勤皇、佐幕派双方の会合場所となった。
ただし、乱闘の現場になったことは一度もない。

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揚屋は宝暦7年以降、京の島原と大坂の新町のみとなり、江戸の吉原では消滅した。揚屋は太夫や芸妓を抱えず、置屋から派遣してもらい、歌舞音曲を伴う遊宴により客を歓待するところである。

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こちらは松の間。
額に目をやると「蓬壺生春酒」とある。う~~~ん、難解だ。
薩摩剛毅という恐ろしく強そうな名前の人の書。
蓬壺というのは日本のことなので、春に仕込んだ生酒(日本酒)は最高に旨い、と詠んだものだろうか。
豪快に筆を走らせた酒席にぴったりの書である。

揚屋の定義は、『守貞謾稿』に「饗業の店」として次のように記されている。

揚屋 あげやと訓ず。京師島原大坂の新町は今も在之。江戸も昔は在之。何れの年に廃す歟。今は揚屋無之唯揚屋町の坊名を存すのみ。揚屋には娼妓を養わず、客至れば太夫を置屋より迎へ饗すを業とする也。
天神及び芸子幇間も客の需に応じて迎之也。唯鹿子位以下の遊女を迎えず。

ここ角屋で新選組局長芹沢鴨が働いた乱暴狼藉は有名である。芹沢はこの酒宴で暴れた夜、近藤一門の夜襲を受けて八木邸で絶命した。
by doitsuwine | 2014-11-03 17:15 | 京都 | Comments(0)