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一景一話

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【一景一話】 ~心に残る景色との出合いと食の愉しみ~

人類の歴史を貫く『論語』一人語り (2) 少年時代

人類の歴史を貫く『論語』一人語り (2) 少年時代


大宰問於子貢曰、夫子聖者與。何其多能也。子貢曰、固天縱之將聖、又多能也。子聞之曰、大宰知我乎。e0297347_21858100.jpg吾少也賤。故多能鄙事。君子多乎哉。不多也。(子罕第九)

大宰とは大臣のことで、当時呉の王だった夫差の腹心だった大宰嚭のこと。彼は夫差のライバル越王の句践から賄賂をとるなど、強欲な政治家だった。子貢は孔子の高弟で弁論にすぐれ、外交官として活躍した。彼は二度にわたって魯の代表として大宰嚭に面会している。                                 
← 子 貢

孔子は聖人にしては多芸すぎるという大宰嚭の問いに、子貢は「孔子は天が自在に才能を与えているのだから何でもできて当然である」という煮え切らない答えをした。

この会話を聞いた孔子は、彼がなぜ多芸なのかを明解に断言した。「自分は貧しいからこうなったけれども、君子は本来多芸であってはならない」と。孔子は「吾れ試いられず、故に芸なり」(子罕第九)と述べている。

神の子イエスやヒマラヤ山麓を治めていた釈迦族の王、浄飯王と、その妃摩耶夫人の間に王子として生まれたブッダとは大きな違いがある。どこへ言っても仕官が叶わず、晩年は隠棲して弟子を育てることは剣聖宮本武蔵に重複する。武藏は自ら 『五輪書』 を書いたが、『論語』 は弟子や孫弟子が筆録した点でやや説得力が落ちる。あたかもソクラテスの弟子プラトン(前427~347)が著した対話集 『ソクラテスの弁明』 の東洋版とでも言うべき典籍である。

ここでこの章のキーワード、中国における「天」の思想について考えてみたい。
天を中国では人の上の存在として考えられており、「天」の文字も人の上に一を書く。中国の思想では、全ての人には天(天帝)から、一生をかけて行うべき命令(天命)が与えられており、それを実行しようとする人は天から助けを受けるという。逆に天命に逆らう者は必ず滅ぶと考えられている。

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天は全ての人のふるまいを見ており、善を行うものには天恵を、悪を行うものには天罰を与える。そこにおける天はやはり、イコール神である。天は神の住む所とされてきたので、派生的用法として天だけで神を意味することがあるわけである。しかしながら孔子の説くところは天=神への信仰心ではなく、あくまでも人間の行動規範=倫理であり、儒教では、五常(仁、義、礼、智、信)の徳性を拡充することにより、父子、君臣、夫婦、長幼、朋友の五倫の道をまっとうすることを説いている。


(了)
by doitsuwine | 2015-05-18 17:21 | 生活 | Comments(2)
Commented by 渡辺洋之 at 2015-05-19 07:55 x
貧しかったから、自分はこんな現状なのだと嘆く人もいるが、貧しかったから自分は成長出来たと感謝する人もいる。
すべてのことをプラスと考えるかマイナスに考えるかでは人生の光は全く違って見えるね。大和魂の源泉は論語にあり。
Commented by doitsuwine at 2015-05-19 09:10
大器晩成と竜頭蛇尾。
人生にもいろいろある。
貧しい者もどこで人生の活路を見いだすか(何かにめざめるか)は重要なタイミングである。
元々貧しさと幸せの定義なんてものはない。
成功を神の助けによると思うのは、自己の行動にいかに忠実であったかということに重なるのではないか。
世の中、すべてが陰と陽。陰の表には陽がある。陽の裏には陰がある。表から裏に転落するのは早い。また裏から表に飛翔するのもほんの小さな出来事の「お陰」だったりする。
つづきもよろしく!