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一景一話

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【一景一話】 ~心に残る景色との出合いと食の愉しみ~

人類の歴史を貫く『論語』一人語り (10) 徳は孤ならず

人類の歴史を貫く『論語』一人語り (10) 徳は孤ならず

子曰、徳不孤、必有鄰。(里仁第四)

子曰く、徳は孤ならず、必ず鄰り有り。

先生は言われた。「徳を体得した者は孤独ではなく、必ず隣人がいる」。

【釈義】
里仁全体の流れから、徳を体得した者=「君子」ということがわかる。
文意は、人間という者は誠実に生きていれば必ず認められ、友人や理解者が現れるということ。

まあ、私なんぞは徳などといものはないに等しいだろうが、武術を通じて多くの同士と交わることが楽しみであり、また生き甲斐でもある。その輪はヨーロッパにまで広がっているから、隣人が世界中にいるということでよしとしよう。
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なお、群馬県の桐生市には江戸中期に醸造業で栄えた豪商「有鄰館」があり、長州藩士で儒学者の富永有隣(右画像)は、名に反して周囲と打ち解けず、その反発から入獄、維新後も精彩を欠いた。また、私は学生時代、神奈川に下宿していたので、有隣堂書店によく通った。

この孔子の教え有鄰を西洋キリスト教倫理の根本原理である「隣人愛」といかに結びつけることができるだろうか。有鄰はこちらで待つ立場(受動)、しかし隣人愛はこちらから動く立場(能動)としての教えである。

旧約聖書に「あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない」とある。イエスは、神を愛することとともに、この隣人への愛こそもっとも大切な戒めだと教えた。また、今助けを必要としている人の隣人になってあげることにその意味があるとして、善きサマリア人のたとえを語った。自己を重んじることもまたこれに含まれる。

キリスト教では隣人を愛する結果として徳が芽生えるのだろう。しかし、孔子は徳を以てすれば隣人が集まるという。 徳は行動の先だろうか、後だろうか。
by doitsuwine | 2015-06-14 17:31 | 生活 | Comments(2)
Commented by 小田村伊之助 at 2015-06-14 20:36 x
「富永有隣」は「花燃ゆ」では怪しい老人で登場していたな。
論語とキリスト教を絡めた考察は、これまで本で読んだことがないので面白い展開になりそうです。今後が楽しみなり。
Commented by doitsuwine at 2015-06-14 21:22
小田村殿
ヨーロッパに毎年行くので、キリスト教には常に興味をもって少しずつ自学している。キリスト教精神は意外にも武士道に通じることがある。そして論語にも。我が輩なりの解釈で攻めてみたい。これまた愉し。