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一景一話

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【一景一話】 ~心に残る景色との出合いと食の愉しみ~

学びて時に之を習う

毎月2回、論語を勉強している。
老後の暇つぶしで勉強しているわけではない。
自ら貴重な時間を割いて勉強するからには学んだことが身にならなければいけない。
最初からおさらい。

子曰、
学而時習之不亦説乎
有朋自遠方来不亦楽乎
人不知而不慍不亦君子乎

「学」は学問するということ。
それは、詩の古典を学び、礼・楽を勉強することであった。

「習」は繰り返し練習する。
復習・練習・習熟の習。
「学習」という言葉は、「学」と「習」を合わせてできたもの。

中国では武術を修行することを学習という。
日本でも武芸を修めることを「学ぶ」という。
そして武芸を行ずることを「稽古」という。

「稽古」とは、(デジタル大辞泉の解説)
[名](スル)《古(いにしえ)を稽(かんが)えるの意》
1 芸能・武術・技術などを習うこと。また、練習。「稽古に励む」「稽古をつける」「毎日稽古して上達する」

とあるが、ケチを付ければ練習と稽古はまったく違う。
デジタル大辞泉の執筆者はこれを知らないのだろう。

わが師、吉田松陰先生は『講孟余話』の中で、
「学は道の得否に在り」と言っている。
松陰先生は嘉永四年に江戸へ出て、学問をするが、名士に出会えなかった。
先生は、学問の本当の目的は「知識」ではなく、「道」を得ることにある、とする。

それでは学問の到達点である「道」とはいったい何だろう。
『論語』の中で孔子の高弟である曾子は、
「先生のおっしゃられる道とは、忠恕のことだけを意味する」
と説いている。
この孔子の解釈は松陰が求める「道」そのものだったに違いない。
※「忠」は人間が自然に持っている真心。「恕」は人間が自然に持っている思いやりの心。忠恕を一つの漢字「仁」で表す。

柔道・剣道・空手道・茶道・華道・書道と「道」を求める習い事はいろいろあるが、果たしてそれで本当の道が得られるのだろうか。

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勝った選手がガッツポーズをする礼知らずの者たちに道も何もない。
ちなみに剣道ではガッツポーズをすると勝ちが取り消しになる。
by doitsuwine | 2016-05-10 18:41 | 生活 | Comments(4)
Commented by 政房 at 2016-05-10 19:19 x
小佐野先生、
空手の藤本先生はよく稽古とは何だと弟子に
質問し、、
いにしえを稽えるとおっしゃっていました。

道とつくものは良い人間をつくるものでも
ありますね。
Commented by doitsuwine at 2016-05-10 21:17
政房さん(^^)/~~~

論語では次のように説いています。
子曰、志於道、據於徳、依於仁、遊於芸、

人として正しい道を志し、すぐれた徳を守り、
思いやりの心によりそい、趣味や教養(芸)を楽しむ余裕がある。こういう人こそ理想だ、と。

日本はまだまだです。
Commented by 渡辺洋之 at 2016-05-12 11:05 x
毎回参加ありがとうございます‼︎
柔道はJiyudoという、新しいスポーツになったと考えたほうが良さそうですね。
Commented by doitsuwine at 2016-05-12 15:39
渡辺洋之さん(^^)/~~~
柔道はもう完全に武道から逸脱しました。
スポーツとしても見苦しいです。
もはやスポーツ以下です。
第一、正々堂々と戦おうとしない・・・