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一景一話

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【一景一話】 ~心に残る景色との出合いと食の愉しみ~

温故知新

『論語』に、
「子曰、温故而知新、可以為師矣。」
という一節がある。

先生がこうおっしゃった。過去の事柄を再考し、新しい事柄を知れば、他人を教える師となることができるだろう。

四字熟語「温故知新」の題材となった一文。
元々は、煮詰めて冷えたスープ(羹)を温めなおして美味しく飲むことから敷衍した言葉であったらしい。
「温」という字が使われている所以である。
古い教養を考え直して、新しく創造するものに工夫を加えよという説教である。

ここで孔子が言いたかったことは、「過去の知識を単純に詰め込むだけでは、人を指導する師にはなれない」ということであったらしい。

この教えは昨日の「学習」にもつながる。
すなわち、学問が世の中において真価を発するのは、学んだ者が「守・破・離」の過程を経ることにある。
「守」は先哲からの預かり物であるから、これは変えずにまた次代に伝えていかなければいけない。
「破」は守を実践していく過程において自分なりの解釈や悟りがなければならない。
「離」は守から離れ、独自の境地を確立しなければならない。

各個人に当てはめて、自問自答してみると、これもまた楽しからずや。

ハンガリーの美味しいスープが今年の夏もいただける016.gif

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by doitsuwine | 2016-05-11 17:37 | 生活 | Comments(2)
Commented by 渡辺洋之 at 2016-05-12 11:12 x
温故知新はグャーシュの中にあり。
論語を日常生活の中に落とし込んで自問自答する!
最高の學びですね。
王陽明先生は、『事上磨錬』と言いましたね。


実際に行動や実践を通して、知識や精神を磨くこと。明みん代の王守仁おうしゅじん(陽明ようめい)が学問の修養について、日常の行為を離れて思索する静座に対して、実際の日常の行動をこなし、これを通して修養するのが真の学問であると述べた説。▽「事上」は実際のことに当たりながらの意。「磨錬」は練り磨く意。
Commented by doitsuwine at 2016-05-12 15:47
渡辺洋之さん(^^)/~~~

はい、そのとおりです。
最近の武道・武術を見ると、実践と理論、技と心、武と文が完全に分離していて、両方を深めようとする人が非常に少ないです。
理屈も歴史も使っている武具のことも何も知らずにただ、技だけを繰り返している壊れたレコーダーみたいな者が実に多い。
真の学問はその時代に合わせて常に生きたものでなければいけない、と我はそう思う。