価値観
それは千差万別である。
しかし、多くの日本人にはその価値観を見いだすべき対象がないようだ。
そんな人生は私には耐えられない。
親が敷いたレールの上をぼんやりと進むことも私には耐えられない。
どこぞの社長のような「バカ殿」は最低である。
何に価値観をおくか。
それにどれだけのエネルギーを注ぎ込むか。
それでその者の対象物への価値観の度合いがわかる。
何を差し置いてもやらなければならないことが人にはある。
それがわが人生の支えとなるものであればなおさらのことだ。
趣味の世界においても同じ。
その者がその趣味にどれだけの時間と熱意を注いでいるか。
その趣味が人生の指針となっているならば、何を差し置いてもその趣味を実行するための時間を確保するだろう。
カネが必要ならば、あらゆる手段を駆使して用意するだろう。
その者のその趣味に対する興味の度合いは、使っている道具・用具を見てもわかる。
それほど興味もなく、それほど上手でもないものの道具・用具は往々にして粗末である。
腕のいい大将の包丁は別格である。
「弘法筆を選ばず」などというが、弘法が筆を選ばないはずはない。
どんな筆を使ってもうまい字が書けるというだけりこと。
実際には最高級の筆しか使わないはずである。
好きなことをとことんやりつめる。
これが人生の究極ではないだろうか。
そのための環境を構築できるかできないかは、その者の資質による。
今夜、成田に前泊し、明朝オランダに旅立ちます。
みなさん、夏休みをしっかりとりましょう。
(夏休みをしっかり確保できない人生を歩んでいるあなた、その人生間違っていますよ)
(完)